東京地方裁判所 昭和38年(ワ)8424号 判決 1968年8月31日
原告
栗橋伸次郎
同
北島斌
代理人
坂本修
外三名
被告
日本電気株式会社
代理人
環昌一
同
西迪雄
主文
一 原告栗橋伸次郎が被告に対し従業員たる権利を有することを確認する。
二 被告は原告栗橋伸次郎に対し金八五八、五六四円およびこれに対する昭和四二年六月二七日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員、ならびに金一四五、五四七円および昭和四三年五月一日以降復職するにいたるまで毎月、二六日限り、金一三、六二八円を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告栗橋伸次郎と被告との間においては全部被告の負担とし、原告北島斌と被告との間においては、被告に生じた費用の二分の一を原告北島斌の負担とし、その余は各自の負担とする。
五 この判決は主文第二項中昭和四三年五月一日以降原告栗橋の復職まで毎月金一三、六二八円あての支払部分とその余の支払部分中金七〇万円の限度において仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一(イ)被告が電信、電話、無線電話、電力、電燈、電気研究その他電気に関する一切の装置、機械、器具材料等の製造、販売等を業とし、全国各地に支店、営業所、工場等を有し、従業員約二万人を擁する株式会社であること、(ロ)原告栗橋が昭和三三年四月、原告北島が昭和二三年四月いずれも被告に、その職員として雇傭されたこと、そして原告栗橋は入社後総合教育、巡回実習を経て、昭和三三年六月研究所に仮配属になり、誘導飛翔体開発部整備課で実習を行ない、同年八月正式に同課に配属され、次いで昭和三四年七月第三営業部電子管課第一係勤務となり、その後昭和三六年四月の職制改革により電子部品事業部営業部第二販売課勤務となり、昭和三七年二月当時、毎月二六日、前月二一日から当月二〇日までの賃金として金一三、六二八円を支払わられる定めであつたこと、(ハ)<省略>(ニ)ところが会社は昭和三七年二月二八日付内容証明郵便をもつて原告栗橋に対し、同人が会社の転勤命令に従わなかつたことを理由に、会社の就業規則七一条六号により解雇する旨の意思表示をなし、同書面がその頃原告栗橋に到達したこと、(ホ)<省略>(ヘ)そして会社はいずれも右解雇の翌日以降原告らの就労の受領を拒否し、賃金の支払をしないことは当事者間に争いがない。
二そこで、まず会社の原告栗橋に対する解雇の意思表示の効力につき検討する。
(一) 就業規則違反との主張について
1 解雇に至るまでの経緯
(1)(転勤命令発令の事情)
<証拠>によれば次の事実が認められ、その認定を覆すに足る証拠はない。
ⅰ 会社の広島支店は男子一〇名、女子四名の職員、四名の嘱託者および日電工事会社の駐在員二名から成り中国地方五県をその担当とする支店であるが、昭和三六年四月同支店の支店長に赴任した渡辺武雄は、当時会社のした事業部制採用に対応して、同支店内の職員らを、通信機、電波機器、電子機器、電子部品、商品各事業部別に配置していた。ところが、商品事業部部門を扱つていた木村正が昭和三六年八月未退社し、ついで電子部品事業部関係の電子管、半導体等の販売、とくに、その特約店との受注、出荷等に従事していた太田悟が同月一一月末退社した。渡辺支店長は同年八月頃木村の補充を本社に申請する一方、木村の後任には日電工事会社の駐在員上田某をあて、ついで太田の退社後は本社にその補充を強く要請すると共に、同支店で通信機および電波機器関係を担当しており、過去において一時電子管を扱つたことのある中野和貞に臨時に太田の仕事を引き受けさせた。被告会社では男子社員は本社で採用するので渡辺支店長は上京した際、本社の人事課長代理津守一郎に対し、二名の補充、とくに電子管の担当者の補填を要望すると共に、友人である本社電子部品事業部営業部第二販売課長の宇多吉実に対しても、同課員からの選出を依頼した。その後津守人事課長代理は本社人事課長細野道彦と相談したうえ、電子部品の民需を扱つている宇多課長に広島支店における電子管、半導体等の販売を担当するのに適当な人物を推薦してくれと依頼した。
ⅱ ところで会社はその民間需要を伸ばすため、会社製品を扱う特約店の出張所、営業所を全国に拡げることを方針としており、宇多課長もそれに従い、広島市に電子管、半導体のみを取り扱う新光商事株式会社と阪神通信工業の各支店を設置するよう指導していたが、両支店はいずれも当時赤字だつたので、課内よりの人選もやむなしと考えた。当時同課内には原告栗橋のほか、主任格の鈴木某を中心に電子管工場出身で約三五才の山崎某、昭和三五年一月に入社した慶応大学出身の青木某、昭和二九年頃から真空管を扱つていた仁井田義男、昭和三五年九月入社した、東北出身の遠藤某、昭和三六年四月に入社したばかりの大木某から成る特約店グループと松本某を主任格として、昭和三六年七月頃同課に着任した染川某、大口の取引先である横河電機、岩崎通信機との取引にあたつている桐山某、昭和三五年四月に同課に配属になりまだ補助的作業しか担当していなかつた島某および小島某から成る直販グループとがあり、そのほか男子社員としては昭和三六年一二月に入社したばかりで、品名を覚えさせるための倉庫係を担当していた三浦某がいた。そこで宇多課長は年令、経験等からして太田の後任としては原告栗橋が最適任だと判断し、昭和三七年一月末頃その旨を津守人事課長代理に伝え、同人の広島に行ける人ですねとの問に対し、絶対大丈夫であると答えた。そこで人事課内においては、原告栗橋に関する身上、経験、能力等を検討し、適当であると判断し、津守人事課長代理は細野人事課長にその旨上申し、その同意を経て決裁にまわし、その手続を経た。
ⅲ そこで会社は、同年二月一三日原告栗橋の上司である電子部品事業部営業部長荒木正巳、同部長代理山本某および宇多課長をして原告栗橋に対して、同月一六日付広島支店への転勤を内示せしめた。同時に会社は大阪支社、福岡、名古屋各支店と本社との間の人事異動についても内示せしめた。
iiii(なお、昭和三七年五月頃、電波機器事業部機器課の職員小国某が広島支店に配属された。そこで同支店では電子管部門は本人の希望もあつて、そのまま中野に担当させ、小国を商品事業部関係の業務につかせた)。
(2)(原告栗橋の家庭事情)
ところで、<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。すなわち、
原告栗橋の父五三郎は以前は履物の卸商を営んでいたが、昭和三一年一二月以降東京都中野区多田町に借家して履物の小売を営んでいた。ところが、原告栗橋の兄喜太郎は終戦直後頃から手の震え、歩行困難を訴えるようになり、昭和三七年当時には歩行、食事はおろか、布団から起き上ることもできないような状態であり、時には数分間発作を起こし、体が硬直し、手、足が飛び上り、仮死状態になることがあつた。同人の病状に対しては東京大学付属病院神経科および東京医科大学病院河北医師はてんかんと診断していた(その後昭和三七年一〇月頃に診察した川島診療所太田医師はパーキンソン氏症候群と診断した。)また原告栗橋の妹郁子は昭和二四年頃受けた交通事故の後遺症と心臓弁膜症、低色素性貧血のため昭和三六年には手の震え、歩行困難が起り勤めをやめ、昭和三七年二月当時は寝ていることが多かつた。さらに、原告栗橋の母はまは昭和三六年二月頃から高血圧のため加療中であり、昭和三七年当時は、家事をやるのは気の向いた時ぐらいであつた。そのように、昭和三七年二月当時栗橋家で健康だつたのは、原告栗橋および父五三郎のほか、当時中学三年在学中の妹里子だけであつたので、病人の面倒を見るのは五三郎であつたが、原告栗橋も帰宅後は家事、営業の手伝いや、病人の看護、医師への連絡等にあたつていて、父親の相談相手となつていた。さらに父五三郎の営む履物小売店のあげていた収益は、昭和三七年二月当時病人の世話等に手をとられることもあつて、月々二万円にも満たず、そこで原告栗橋は給与全額を家計の方に入れ、毎日若干の小遺いを持つて出社するような状態であつた。そこで兄、妹の医療費は生活保護法所定の医療保護を受けたが、それでも家賃を一〇カ月も滞納するような状況にあつた。
なお、栗橋はま、同喜太郎の病状はその後悪化し、栗橋はまは昭和三九年二月一〇日脳溢血のため死亡し、また栗橋喜太郎は昭和四〇年三月二六日嚥下性肺炎のため死亡した。さらに栗橋郁子は昭和三九年、四〇年と国立第一病院脳外科に入院して手術を受けたが、結果は余りかんばしくなく歩行も困難なうえ言語も不自由な状態にある。
(3)(内示後発令迄の経緯)
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する<証拠>は措信できない。すなわち、
原告栗橋は前示内示に対し兄、妹、母の病状を話し、多分困難だろうと思うが家族と相談してみる旨答えて退席した。同夜原告栗橋は両親と相談したところ、両親とも家計上、生活上困るから再考慮を求めるようにとの話だつたので、翌一四日、荒木営業部長、山本営業部長代理および宇多課長に家族の病気の状況を話し、どうしても広島へ転勤されては困ると、再考慮を懇請した。これに対し、荒木、宇多らは、会社が一たん決めた命令は変えられないとか、君だけを特別扱いすることはできないと、原告栗橋の説得に当つた。翌一五日、翌一六日にも原告栗橋は荒木らに同旨の事情を述べ、会社側も同じような説得にあたつた。そして同月一六日午後、会社は人事部長加固猪智郎、細野人事課長、津守人事課長代理をして原告栗橋に対し広島支店への転勤命令を交付せしめようとしたところ、原告栗橋はまだ組合に相談してないとしてその受領を拒否し退室した。
(4)(発令後解雇迄の経緯)
<省略>
(5)(組合と会社との交渉経過)
一方、会社と本社労組、三田労組等およびそれらから成る日本電気労働組合連合会との間の労働協約一八条一項は「会社は業務上必要があるときは組合員に対し職場、職種の変更、転勤、出向等の異動を行なう」と規定し、また同条二項は、「前項の場合は組合に通知する」と規定し、さらに同協約三一条は、その前文において「会社は組合員が左の各号の一に該当するときは、予め組合に連絡して解雇する」、同条一号において「懲戒により解雇処分に該当するとき」と各定めていることおよび会社は原告栗橋らに対する異動を昭和三七年二月一三日本社労組に通知し、同組合がこれを了承したことは当事者間に争いがない。<中略>
2 転勤命令の有効性
原告らは本件転勤命令が無効である旨主張しているので、以下、順次、検討する。
(1) まず原告らは、本件転勤命令が原告栗橋と会社との間の雇傭契約に反しているから一方的にはなし得ないと主張している。
しかし、会社が全国各地に支店、営業所、工場を有し従業員約二万人を擁する会社であること、会社と前記組合らとの労働協約第一八条には「会社が業務上必要があるときは組合員に対し職場、職種の変更、出向等の異動を行なう」旨の規定があることは当事者間に争いがなく、これらの事実と<証拠>により認められる事実、すなわち同協約は最初昭和二七年に制定され、順次部分的に修正されながらも継続して締結されているが、同協約一八条および同条に関する覚書はいずれも当初より挿入されていたもので、これまで改訂されたことがないことおよび協約締結当時組合側はこの種の人事権が会社に属することを了解し、その後も同条項の解釈について組合と会社間において紛議を生じたことがなかつたこと(以上の認定を左右するに足りる証拠はない)を総合すると、会社と原告栗橋がその提供する労務の種類、態様、場所等について特段の合意をしたことの立証のない本件においては、原告栗橋と被告との雇傭契約は右労働協約によつて律せられて、原告栗橋は、同原告の学歴、職歴等の事情より見て雇傭契約の解釈上自ら生ずる一定の制約はあるにせよ、一般的には前記諸点については、被告の指示、命令に従つて労務を提供する内容となつているものと認めるのが相当である。
すなわち、原告栗橋は被告との雇傭契約により、原則として被告に対し同原告の労務を提供すべき場所等を指定し、その労務を具体化する権限を委ねたものというべく、従つて会社が右の権限に基づいてする転勤等の命令は会社が一方的に意思表示をすることによつてその法的効果を生ずるのが原則であつて、必しも原告栗橋の同意を必要とするものではないといわなければならない。
従つて会社が原告栗橋に対し同人の承諾を得ることなく一方的に広島支店への転勤を命じたとしても、単にその故をもつてその命令の効力を否定することはできない。
(2) しかしながら、右のような労働指揮権とでもいうべき権限の行使も絶対的なものではあり得ず、会社はその行使にあたつては、労働組合との間の労働協約等に定めがあればそれに従わねばならぬのは勿論、労使の間を規律する信義則や慣行に従うべきは当然のことであつて、それらに反してなされた労働指揮権はその効果を生じないものとするのが相当である。
ⅰ ところで前記労働協約に附帯する覚書は、転勤等については「本人の事情を考慮して行う」旨定めていることは当事者間に争いがないが同条項の趣旨とするところは<証拠>を考慮すると、会社がその従業員に転勤等を命令するにつき、当該従業員と協議することまでを求めるものと解することはできないけれども、転勤等が当該従業員の生活等に大きな影響を与える場合のあることを考え、会社は転勤等を命令するについては会社側の都合だけでなく、当該従業員の個人的事情も無視することなく充分配慮することを明らかにしたものと解すべきである。
そして、前記のような覚書の趣旨からすると、会社の考慮しなければならない「本人の事情」とは従業員自身の事情の外、本人の転勤に伴い影響を受ける家族との関係における本人の事情も特段の場合には考慮さるべき事情に含まれるものと解される。
ところで原告栗橋の場合、前認定のとおり同原告の父五三郎が自宅において履物小売商を営んでいたとはいえ、同家の生計の中で原告栗橋の得る収入が大きな役割をしめ、しかも前記の如き病人三人をかかえていたのであるから、原告栗橋は家事手伝、あるいは病人の看護、さらに家事について父親の相談相手と同家族にとつてなくてはならぬ存在であつたと認めるのが相当であつて、このような事情の下においては、原告栗橋の転勤により取り残される家族との関係における事情も、前記覚書にいう本人の事情として会社は考慮すべきである。
ⅱ <証拠>によれば、原告栗橋は入社に際し、家族は皆健康であつて、父五三郎は履物小売商を営み、年収四五万円をあげ、兄喜太郎も中学校卒業後家業に従事している旨記載した調査表を提出していたところ、原告栗橋は昭和三七年二月当時、独身であつて、父五三郎らと同居していたこと、会社側は右のような家族構成等も考慮して、原告栗橋は広島支店へ転勤できるものと判断したことが認められる。そして、その当時までに会社側が前記のような原告栗橋の家庭の状況を了知していた点について原告粟橋の供述中にはそれに添う部分があるけれども、同部分は措信できず、その他同事実を認めるに足る証拠はない。
してみると、そのような資料の下では会社が原告栗橋は広島支店へ赴任できるものと判断したとしても、それは無理からぬものと言わねばならないが、前記の如く、会社は原告は本件転勤内示後、発令までの間に、前記の原告栗橋の家族の事情を知つたのであるから、当然会社はこの点を考慮に入れてしかるべきであつた。
ⅲ 一方、前記認定事実によれば会社の広島支店においては営業担当男子職員、特に電子部品事業部関係担当者の補填を本社に要請し、それを受けて本社では、その要請に照らし電子部品事業部の営業部門よりその人員を選出することにし、その年令、経験の点からして原告栗橋を適任と判断したというのであるから、広島支店へ原告栗橋を転勤させる必要が大であつたと認められる。もつとも、広島支店における業務内容、原告栗橋のそれまでの経験からすると、原告栗橋の広島支店への転勤が余人をもつては代替し得いものであつたとは認め難い(現に、原告栗橋に対する解雇通告後、広島支店へ補填されたのは電波機器事業部にいた小国であり、同人は同支店において商品事業部関係を担当し、電子部品事業部関係は中野が引続き担当した)
ⅳ 他方前記のような家族の状況からすると原告栗橋が本件転勤命令に従つて広島へ赴くことは経済的にも困窮を来すばかりでなく、同家族の生活が危機に瀕する虞があることは容易に推察し得るところであつて、それを避けるためには原告栗橋は自ら退社して他に職を求めるか、広島への転勤命令を撤回して貰うかのいずれかの方法しかなかつたと認められるところである。
これに対し会社側は原告栗橋に対し経済的条件について考慮する旨を通告していたのは前記認定のとおりであるが、原告栗橋の事情はその程度の経済的条件の考慮によつても解決し得ないものであることは前述の事情に照らし明らかである。
なお、原告栗橋自身も入社に際し、転勤すべき義務のあることを了解していたことは前記のとおりであるとしても、転勤し得ない労働者は採用しない旨会社が明示したなどの特段の事情のない限り、入社後の事情の変更により転勤し得なくなつた従業員に転勤等を強いることは酷にすぎるものといわねばならない。
Ⅴ 以上判断したような会社の原告栗橋に対する広島支店への転勤命令の必要性上、原告栗橋がそれに応じることによつて受けるべき影響ならびに会社がそれらの事情を考慮すべきであることを比較考量すれば、本件転勤命令は著しく均衡を失しているものといわねばならず、したがつてその転勤命令はその法的効果を生じないものと解するのが相当である。
3 就業規則該当の有無、解雇の正当性
被告は原告栗橋の本件転勤拒否は業務命令に違反し就業規則七一条一項六号に該当すると主張しており、会社の就業規則が懲戒解雇事由の一つとして、その七一条一項六号において「故なく職務上の指示命令に反し、又は破壊的言動をなし職場の秩序をみだし、又はみだそうとした者」と定めていることは当事者間に争いがないが、右に述べた如く会社の原告栗橋に対してなした転勤命令はその法的効果を生じないものといわねばならないから、原告栗橋がそれに従わなかつたからといつて、右就業規則にいう「職務上の指示命令に反し」たということができない。すると、転勤命令に従わないことを理由として原告栗橋を解雇するのは、解雇の理由がないのに解雇したもので、解雇は会社の恣意に基づくものということができ、しかも前記の如き事情からすると解雇は苛酷に過ぎるといわねばならぬから、本件解雇の意思表示は無効と解すべきである。
(二) してみると、その余の原告らの主張について判断するまでもなく、原告栗橋の被告会社の従業員としての権利を有することの確認を求める請求は理由がある。
<賃金請求に対する判断部分は省略>
なお、原告栗橋に対する前記転勤命令、解雇の意思表示が無効であつて、しかもその後被告において原告栗橋に対し転勤命令を発したことの主張、立証のない本件では、原告栗橋は従前の職場である電子部品事業部営業部において労務を提供すれば賃金を受領し得る契約上の地位を保有するものというべきである。
しかしながら、前説明のとおり原告栗橋はもともと被告との雇傭契約において、一般的には特段の事情のない限り被告の指示する場所において労務を提供することを約しているのである。たまたま被告の昭和三七年二月当時の広島支店への転勤命令が前判断のとおり無効であり、従つて右命令に従つて広島支店に赴く義務はなかつたといえるが、権利義務の存否の確認を求める訴は口頭弁論終結時を基準として判断せねばならないところ(従つて原告栗橋の主張が昭和三七年二月当時の権利義務の確認を求める趣旨であるとすると、確認訴訟の要件を欠くものとして却下を免れない)、右基準時において原告栗橋が全国各地に存在する被告会社の支店、営業所、工場等のうち特に広島支店へ転勤することだけを拒むことができる特段の事情については主張、立証がないのみならず、<証拠>によると、原告栗橋は昭和四〇年頃結婚し、栗橋五三郎らとは別居するにいたつたことが窺われ、その事実と前記のような家族構成上にその後生じた変化とを併せ考えると、口頭弁論終結時現在においては、もし会社が原告栗橋に対し広島支店へ転勤を命ずれば、それに応じなければならない状態にあるものとも解されるから、原告栗橋の広島支店において勤務する義務のないことの確認を求める部分は理由がない。
三<省略>
四<省略>(大塚正夫 宮本増 田中康久)